「就職できない人は欠陥品」 近畿大HP 近畿大は労働者製造工場
そこそこの大学の新卒資格はそこそこの企業に入るための入場券にすぎない。
学力は医師、弁護士、官僚になれるレベルに達していない場合、そこそこの学校を卒業して新卒チケットを使って労働者になる権利に変換できるにすぎない。
言ってしまえば、学力は一定程度のハードルを越えられない限り人生にとってあまり意味がない。
大手企業の労働者になったとしても途中で退職すれば、何も残らない。
会社の従業員は〇〇株式会社の〇〇さん、ということで価値を有しているだけで、会社を離れれば何も残らない。人自体に価値が付帯している医師、弁護士などとの違いだ。
どんなブラック企業でも新卒で入社した後はしがみつかなければ、高校受験、大学受験とそこそこ勉強してきた、そこそこの企業に就職した努力はなかったことになってしまう。
例えば大卒後会社に入って10年働いて、精神を病んで退職したとしよう。
その場合、世間からの見方は完全に落伍者だ。
高校卒業後15年近くニートをしていた奴と社会的には等価である。
基本的に労働者には資本家になるに足りる代価は支払われない。
なぜなら、資本家からすれば、労働者に資本家になられるのは困るからだ。
近畿大は自ら、近畿大程度の卒業者は、経営者などになる資質はなく、新卒チケットを使って就職しなければニートやフリーター等の欠陥品になってしまうと認めている。
つまり、近畿大自ら「うちの大学は労働者製造構造だ」と喧伝している
しかも、新卒チケットをうまく使わないと落伍者になってしまうということすら分からないような馬鹿な学生をたくさん抱えていると吐露している。
近畿大に進学するメリットはあるのだろうか
労働者を再生産することを学校の存在意義とする近畿大学などに進学する意味はないだろう。