テラニートのブログ

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ゆめにっきSTEAM版が失敗した最大の理由 PLAYISM 水谷氏: おそらく一番売れたのは『MOMODORA -月下のレクイエム-』ですね。僕はアクションがヘタなので全然楽しめないので残念ですが

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PLAYISM 水谷氏: おそらく一番売れたのは『MOMODORA -月下のレクイエム-』ですね。僕はアクションがヘタなので全然楽しめないので残念ですが

 

ゆめにっきのSTEAM版を駄作化したパブリッシャーであるPLAYISM。

そこがどういうところなのか調べていたら、上記記載の記事が出てきた。

 

自社が販売している商品を

「自分は楽しめない」とわざわざ言う必要があるのか?

これは創作者と作品に対する冒涜だろう

 

車の販売店の従業員が、スポーツカーを売るときに

「僕はスポーツカーは苦手なので楽しめないのが残念ですが一」

とか言ってたらなんだコイツ?と思うのは間違いない

 

お前が楽しめないかなんて誰も興味がない

苦手なのが本当だとしても、対象に対して

「僕はアクションがヘタなので全然楽しめないので残念」という言葉には、

「お前の作品には苦手を克服して練習しようと思える価値もない」という意味合いも含む

先天的障害で原始的不能の場合とは異なるのだから、努力でアクションゲームを楽しむことくらいできるはずだ。

 

「僕はアクションがヘタなので全然楽しめない」と思っていても

それを言う必要がない。

上述の意味合いを含む以上、創作者の気分を害するだけである

 

このような姿勢で、編集者として上手くいくのか?

 

何気ないコメントだったとは思う。

しかし、

何気なく自然体からのコメントだからこそ編集者の思想が伝わってくると言える。

・創作者をどう思っているか

・作品をどう思っているか

 

編集者の発言からすれば、

創作者に気を遣うつもりがない

作品に敬意を表明するつもりがない

という真意が伝わってくる

すなわち、

・創作者を下に見ており

・創作者を馬鹿だと思っており

・作品を金儲けの駒としてしか見ていない

という気持ちであることが透けて見えるのだ

 

自分が尊敬している人が作った作品があったとしよう。

その作品の対する評価として

「僕はアクションがヘタなので全然楽しめないので残念ですが」

というような言葉は使わないであろう

 

例えを挙げよう。

年功序列型の日本古来の企業であなたは平社員。

相手は部長級。

部長が作ったアクションゲーム作品がある。

それをやりもしないで、

「僕はアクションがヘタなので全然楽しめないので残念ですが」

なんて言ったら、出世の道は絶たれたも同然だ。

早晩、追い出し部屋に異動になるであろう。

 

ここでは、

「僕はアクションは今までは苦手だと思っていたんですが」

「いやぁ、部長の作品は本当に面白いですね」

「徹夜で練習しちゃいましたよ!」

「ところで、ここの〇〇ってどうやったらとれるんですか?」

くらいのコメントはつけるだろう。たとえ嘘でも。

苦手でも嘘でも敬意があることを示すならばこのくらいは必要だ。

それが社会人としての基礎であり、対人コミュニケーションの基本なのだ。 

自分が畏敬の念を抱く相手、尊敬している相手

もしくは、畏敬の念を抱いている、尊敬していると思われないといけない相手

これらの作品を評する言葉として、 

「僕はアクションがヘタなので全然楽しめないので残念ですが」

という言葉は出てこない。侮蔑すら含んでいる。

お前のゲームはやる価値もないのだ、という意味合いを含意しているのだから。

 

作者や作品に対する尊敬の念がない編集者。

そのようないい加減な編集者がリマスターを成功させることができるだろうか。

できるわけがない。

 

編集者の姿勢から、DD(ゆめにっきのSTEAM版)が失敗した理由を垣間見ることができる。

 

編集者が

・創作者を下に見ており

・創作者を馬鹿だと思っており

・作品を金儲けの駒としてしか見ていない

のであれば、

 

・創作者の意向などどうでもいい、知らない

・プレイヤーの希望は分からない、分かる気もない

・とりあえず、販売してみればいい

このようないい加減な思考から、

ロクな作品が作られるわけがない

駄作を量産するだけだ

そして、作品のブランド価値を徒に毀損する

 

創作者のことを下に見ているのであるから

プレイヤーなどもっと下に見ているであろう

下に見ている相手が何を望むかなど深く考えないのものだ

 

確かに知名度ゆえにある程度は売れるとは思うが

駄作の量産を重ねることで

作品の価値、知名度、ブランド力を毀損し

いずれは取り返しがつかないことになる。

 

また、以下のように、他記事では

クリエイターへの尊敬心や偉いという気持ちが重要などと語っている。

 

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水谷:
本当に好きですね(笑)。僕は、彼らに比べるとそこそこレベルになっちゃいますね。僕は今、『ファイナルファンタジーXII』をやっているぐらいで、超メジャーな大作ゲームが好きなので…。ああ、ただ、クリエイターへの尊敬心を持っていないとしんどいと思います。クリエイターは偉いという気持ちがあることはとても重要ですね。

 

〇〇への尊敬心、〇〇は偉いという気持ちが重要

などという表現は、

本当に偉いと扱われている人物相手には出てこない。

天皇陛下への尊敬心が大事、総理大臣は偉いなどとわざわざ

再確認しない、ほとんどの人がその事実を疑わないからだ

(そもそも「偉い」という表現が何が偉いのかさっぱり分からないが笑)

 

戒めのように、

クリエイターへの尊敬心や偉いという気持ちが重要

などとわざわざ言わないといけないということは、

 

スタッフに「クリエイターなど搾取対象の駒だ」という思想が蔓延しているからであろうと推測できる。

 

・クリエイターへの尊敬心や偉いという気持ちが重要

・お客様は神様

・〇〇の気持ちが大事

このように、わざわざ言葉にして注意を促さないといけないことは

実態がその真逆であるからだ。

 

本当に、クリエイターへの尊敬心や偉いという気持ちが重要だと

心底思っている場合、あえて口に出すことはないだろう

人は当たり前の状況をわざわざ再確認することはないからだ

空気や呼吸が重要です、などと再確認する人はいないであろう

すなわち、

PLAYISM社内では、

クリエイターへの尊敬心や偉い、という思想が

当たり前の状況になっていないことが推測できる

クリエイターを搾取対象のオタクの雑魚の馬鹿と見下し、最下層のゴミだと思っている可能性すらあるだろう。