「命の軽視」? 命が重いものだという前提は誤っていないか?
まず、金銭的交換価値を重さとするならば、
命の価値は決して平等ではない。
人が死んだこと自体に対する賠償金もまず2500万前後であるし、
これも一家の支柱かどうかなど立場によって上下がある。
逸失利益を考えれば、知的障碍者と医者では億とゼロの差がある。
ましてや、動物である。
有害として人間にとって駆除される動物。
食肉のために繁殖させられ機械的に殺される動物。
その命の価値は食肉としての交換価値に限定され、
命の尊厳などは考慮されていない。
命に重さを求めようとする本能の叫びは否定しないが
他人の死など誰も気にも留めないし、
日本社会であっても人の死自体の交換価値は2500万円程度である。
客観的に人の死は重いものか考えてみるに
プレミアがついたフェラーリの方がよほど重いのである
プレミアがついたフェラーリが道路横断中の歩行者をはねて
歩行者が軽傷を負い歩行者にも過失がある場合
フェラーリが破損していれば、逆に歩行者が払う損害賠償の方が高くなる可能性がある
本能的な感情を抜きにして合理的に考えれば
命など物にも劣る価値としか評価されないものである
重さがあると思っているとすればそれは誤解の可能性が高い
あなたが死んだとしても私が死んだとして
家族や知人以外は何も思わないだろう