大人になって空手・ボクシング・レスリング・拳法・総合格闘技・喧嘩、格闘技の意味とは
大分市の無職・三村将輝容疑者(27) 傷害
大人になれば個人の喧嘩の強さなどに殆ど意味はない。
なぜなら、喧嘩が強いからといって他人から財産を奪えば強盗や恐喝であり、
気に入らない奴を威圧したり殴れば脅迫や傷害で逮捕される。
厳罰化もどんどん進んでいる。
喧嘩が強いからと言って意味はないのだ。
柔道が5段だろうが空手が5段だろうが
そんなものは社会的には価値はない。
社会が成熟すればするほど、個人の強さに価値はなくなる。
昭和の時代であればこの程度の暴行は犯人不詳で終わったかもしれない。
今は令和であるが、時代遅れの極真(笑)などは頭の中は昭和なのであろう。
それでは大人になって格闘技をやる意味とは?
無意味でも格闘技をやるのであれば、個人の強さに価値を置く人を集めて、
狭い世界の中でお山の大将を気取ることくらいであろう。
世の中にあふれる安い月謝の格闘技道場は、
みんなに教えたいという世のため人のためというか、
社会的には無意味な「個人の強さ」に何とか意味を持たせたい汚いおっさんの足掻きなのだ。
この事件の犯人も後は汚いおっさんに成り果てるしかないだろう。